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大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)1267号 判決 1990年6月08日

原告 大寺美和子

同 浅野興太郎

同 寺島美保子

右原告三名訴訟代理人弁護士 小笠豊

同 胡田敢

被告 田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役 足立慶次郎

右被告訴訟代理人弁護士 武田隼一

同 小松英宣

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、各自金九〇〇万円及びこれに対する昭和五四年一〇月二五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告らはいずれも、昭和五四年一〇月二五日(以下、同年中の月日については年度の表示を省略する。)に死亡した亡浅野節(大正三年一月二日生、以下「亡節」という。)の子である。

被告は、医薬品などを製造、輸入、販売することを目的とする製薬会社である。

2  亡節の死亡に至る経緯

(一) 安川医院での受診状況

亡節は、安川医院(安川栄一医師)で、三月五日及び同月八日に高血圧で受診し、ユベラニコチネート等の薬剤の投与を受け、さらに五月にも咽頭炎で三回通院治療を受けた。

七月二七日、亡節は高血圧、頭痛、体がだるい等の症状で安川医院で受診し、フルイトラン(降圧利尿剤)、ユベラニコチネート(微少循環系賦活剤)及び被告の製造販売するセダペルサンチンを五日分投与され、その後、右各薬剤を同月三一日に五日分、八月七日、同月一七日及び同月二一日に各一週間分、それぞれ投与を受けて服用した。

同月二四日に亡節が安川医院で受診した際、安川医師は亡節の発疹に気付き、フルコート・クリーム外用薬を処方し、同月二八日に受診した際、発疹がひどくなっていたため、薬疹を疑い、フルイトラン、ユベラニコチネート及びセダペルサンチンの投与を中止した。

その後も、亡節は同月二九日から九月一日まで毎日同医院で受診した後富山逓信病院へ転院した。

(二) 皮疹の発現時期及び態様

亡節の発疹は、安川医師が気付くより先に、八月中旬ころから発現したものであり、当初皮膚にポツンと出始め、みるみる全身に広がったものである。

(三) 富山逓信病院外科での入院治療状況

亡節は九月二日に富山逓信病院外科に入院したが、その時点では全身の発疹、膝に力が入らない、気分がすぐれない、口内の荒れが強いなどの症状があり、また三九度を超える高熱のためインダシン座薬(解熱剤)を同日から同月五日まで及び同月七日の合計五日間投与され、同月五日からは継続してステロイド剤(デカドロン)の点滴投与を受けた。

同月七日、富山市民病院皮膚科部長の松本鐐一医師が、富山逓信病院からの依頼により同病院に入院中の亡節を診察したが、同医師は中毒疹と診断した。松本医師が診察した時から亡節の口内の荒れはひどく、その後も継続している。

(四) 富山市民病院に入院後の経過

富山逓信病院での治療により亡節の皮疹に多少改善の兆がみられたが、皮膚科での治療を適当としたため、九月一二日に富山市民病院皮膚科に転院した。右転院の時点で亡節の病状は、全身の皮疹が強く、掻痒感なし、倦怠感有り、口内荒れ有り、食思なし、歩行困難といった病状であった。

亡節の皮疹は全身が真っ赤になる程であり、皮疹の種類・型は広範な麻疹型、滲出紅斑型、猩紅熱型などを含めた播種性紅斑丘疹型が殆どであった。九月二三日ころからは落屑(鱗屑がはがれ落ちる現象、紅皮症や重症の乾癬で著しい。)がみられ、一〇月八日ころから著しくなっていた。口内の荒れは一〇月二〇日ころにも依然として強かった。富山市民病院皮膚科での診断名は、バルビタール薬疹であり、安川医院で投与されたセダペルサンチンに配合されたフエノバルビタールが原因薬剤と推定されたのである。

九月一二日以降、カリウム及びナトリウムが低下する電解質異常に伴う腎障害がみられた。また肝機能障害もみられ、九月一六日ころより軽度の黄疸が出現し、九月二〇日ころにピークに達した。

九月一四日から、腸管麻痺がみられ、排ガス、排便がなくなり、腹部膨満が著明になった。

皮疹は、九月一二日から同月二六日ころまで漸次軽減して行ったが、同月二七日から三〇日にかけて再び悪化して行った。発熱も同月一二日には三七度台であったが、同月一四日には三九度台となり、その後も同月二〇日まで三八度台となることが続いた。

その間、亡節に対する治療として、ステロイド剤であるデカドロンとリンデロンとが富山逓信病院での投与に引き続いて九月二八日まで使用された。インダシンは三九度の発熱のあった九月一四日から同月一九日まで使用され、ゲンタシン(抗生物質)は同月二三日から同月二九日まで使用された。

一〇月五日、亡節に突然下血が始まり、消化管出血、血管内凝固症候群(DIC)、急性腎不全、急性肺水腫などを起こして同月二四日に死亡した。

(五) 解剖の結果

富山市民病院において、同病院の高柳尹立医師により実施された亡節の解剖の結果として、主病診断名は、多発性結腸潰瘍及び穿孔性直腸潰瘍(大量出血を伴う。)であり、副病変として、死亡浸潤を伴う急性肝炎、急性肝質腎炎、急性膵炎、両側胸水及び両下肢無気肺、潰瘍性食道炎等と診断された。

3  亡節の死亡とセダペルサンチンの投与との因果関係

(一) セダペルサンチン及び同剤が含有するフエノバルビタールの副作用

セダペルサンチンは、ジピリダモールとフエノバルビタールの配合剤であり、フエノバルビタールは、バルビタール(正式化学名バルビツレート)を本体とした共通の構造式を持った薬剤である。

そしてバルビタール剤については、同剤が種々の薬疹の原因となると述べた医学文献や、同剤が薬疹の原因となった症例の報告等が多数存在する。右文献や症例報告によれば、バルビタール剤を原因とする薬疹の型としては、紅皮症型、多形滲出性紅斑型、その重症例としての皮膚粘膜眼症候群(MCOS、スチーブンス・ジョンソン症候群)型、中毒性表皮剥離症型(TEN型、ライエル型)など重症の薬疹がある。

(二) 亡節の死亡の原因

(1)  亡節は七月二七日から安川医院でセダペルサンチンを投与された後、八月中旬から皮疹が出現し、同月下旬には全身に拡がったものであり、同時に投与されたフルイトランやユベラニコチネートでは経験的にこのような皮疹が出ないことや、薬剤以外の食品添加物などが原因である可能性も乏しいことから、セダペルサンチンが原因薬剤と考えられる。

なお、亡節の皮疹は、当初から日光露出部だけでなく、衣服で見えない部分にも出ていたが、同女が羞恥心から嫌がって人に見せなかっただけであり、日光皮膚炎ではない。従って日光皮膚炎であることを前提にしてフルイトランが亡節の皮疹の原因薬剤である可能性が高いという被告の主張は誤りである。

(2)  そして、亡節の右皮疹は紅皮症型やスチーブンス・ジョンソン症候群(多形滲出性紅斑型の重症型)の混合した重症型薬疹であり、これが引き金となってDIC(血管内凝固症候群)が発来し、腸管麻痺、腸管出血、電解質失調を伴う腎障害などを起こし、腸管出血性壊死の治癒が遷延し、各所に潰瘍を残して強い出血を反復し、これに両胸水貯留による呼吸不全が重なり死亡したものである。

(3)  ところで、被告は、インダシンにも肝臓障害、消化器の潰瘍、穿孔、出血、腹部膨満感、口内炎等の副作用があり、亡節の死亡原因はインダシン及びゲンタシンの複合副作用であると主張するが、亡節の口内の荒れは九月二日の富山逓信病院入院時以前からあったもので、インダシン使用以前からである。さらにゲンタシンの投与による多発性結腸潰瘍及び穿孔性直腸潰瘍の副作用症例は、文献上一例も報告されていない。また、亡節の一〇月五日の下血はゲンタシンの使用後であるが、腸管麻痺、電解質異常、肝機能障害等の内臓障害はゲンタシン使用以前からである。従って、亡節の直接の死因となった症状の原因がインダシン及びゲンタシンであるとは考えられず、セダペルサンチンを原因とする薬疹が右薬剤等による治療の効果なく次第に悪化して死亡するに至ったと考えられる。

(4)  フエノバルビタールの体内滞留期間について、被告はフエノバルビタールは投与後約一週間で完全に体内から消失するというが、薬疹は一旦起きると、原因薬剤を中止しても皮疹が長く続くことがあり、その原因としては、血液中の原因物質は排泄されても組織内やリンパ腺内に残存するからとの考え方や、AI(自己免疫)型薬疹では原因薬剤を中止してもなかなか軽快に向かわないと説明されている。

重症型薬疹では原因薬剤を中止しても、皮疹及び内臓障害はなかなか軽快せず、治療が効を奏しないと重症化して死亡に至るのであり、本件はまさにそのケースである。

(三) 以上により、亡節は安川医院で投与されたセダペルサンチンを原因として皮疹を生じ、同時に重篤な内臓障害を起こし、それが重篤化して死亡するに至ったものである。

4  被告の責任

(一) セダペルサンチンの瑕疵

医薬品の有用性は、当該医薬品の有効性と安全性の比較衡量により決せられ、具体的には、適応症の種類、治療効果の程度、代替医薬品の有無、副作用の重篤度、発生頻度、可逆性等を総合して行われるものであり、この有用性を欠くことは医薬品の瑕疵となる。また、適応症、副作用等についての適切な指示、警告を欠くことも医薬品の瑕疵となる。

(1)  有用性の欠如

セダペルサンチンは、ジピリダモールとフエノバルビタールの配合剤で、被告が昭和三六年に製造販売を開始し、昭和五六年に配合意義及び有効性が認められないことから、製造販売が中止になった薬剤であり、即ち、右の二剤の配合により副作用の危険性は増大したが、有効性は増大しなかったものである。

配合剤においては、配合自体に有効性が認められなければ有用性が否定されるのであり、この点でセダペルサンチンは明らかに瑕疵がある医薬品である。

本件で、亡節は安川医師から高血圧症と診断され、セダペルサンチンを投与されたが、ジピリダモールが有する血圧降下作用だけが求められていた。しかるに、セダペルサンチンに含まれる投与の必要のないフエノバルビタールの副作用で亡節は死亡したのである。

(2)  適切な指示・警告の欠如

被告がセダペルサンチンの副作用についてなした指示・警告は能書に次のとおり記載したことのみである。

昭和五一年四月改訂能書

<1> 「過敏症」過敏症状が現れた場合には投与を中止すること。

<2> 「スティーブンス・ジョンソン・シンドローム」フエノバルビタールはまれにスティーブンス・ジョンソン・シンドローム(発熱、皮膚、粘膜の発疹または紅斑、壊死性結膜炎等の症候群)が現れることがあるので、観察を充分に行い、このような症状が現れた場合には、投与を中止すること。

昭和五四年四月改訂能書

<1> 「過敏症」フエノバルビタールにより時に猩紅熱様・麻疹様・中毒疹様・発疹等、ジピリダモールにより時に発疹等の過敏症状が現れることがあるので、このような場合には投与を中止すること。

<2> 「スティーブンス・ジョンソン・シンドローム」につき、昭和五一年四月改訂能書と同文の説明。

しかるところ、右の各能書における指示・警告文は、次のとおり極めて不十分、不適切なものである。

まず、セダペルサンチンの副作用が、生命にもかかわるものであるという重大性・危険性を有することを全く伝えていない。次に、右能書には、重症型薬疹の代表型のうち、スティーブンス・ジョンソン症候群のみを記載し、ライエル症候群と紅皮症の記載がない。

さらに、被告がセダペルサンチンの副作用の重篤性を認識していたなら、副作用の検知方法として、発疹が現れたら服用を中止すると同時に、発疹が発現したことを医師に通知するよう、医師が患者に対し注意すべきことを指示する必要があったし、副作用発現後の対処方法として、投与を中止するだけでなく、積極的な治療が必要であることを指示する必要があったにもかかわらず、このような指示を欠いている。

以上のとおり、セダペルサンチンは副作用に関して適切な指示・警告を欠くという点でも、医薬品として瑕疵があった。

(二) 被告の注意義務違反

被告は、セダペルサンチンが副作用としての薬疹を好発させること、しかも、その中には生命にもかかわる重症型薬疹であるライエル症候群、スティーブンス・ジョンソン症候群及び紅皮症も含まれていることを知っていたか、少なくとも知り得たのであるから、かかる重大な副作用被害を防止するため、第一に、配合意義がなく副作用のみが増大したセダペルサンチンの製造・販売を行うべきではなく、第二に、副作用に関し適切な指示・警告をなすべきであったのに、このような注意義務を怠った過失がある。

因みに、セダペルサンチンは昭和五六年八月七日付医薬品の再評価により、配合意義がないものとして有用性を示す根拠がないものと判定された。そしてその評価の結果を見越した上で、昭和五六年一月末日に、被告はセダペルサンチンの販売を中止した。

(三) よって、被告はセダペルサンチンの投与により亡節が死亡したことについて、民法七〇九条により不法行為責任を負う。

そうでないとしても、被告は、セダペルサンチンの製造・販売について、右副作用を予見しながら適切な回避措置をとらなかった代表取締役の過失もしくは従業員の過失につき、民法四四条ないし同法七一五条により損害賠償責任を負う。

5  損害

(一) 逸失利益 一九一三万九四七二円

亡節は、本件当時米穀商などを営んでおり、昭和五一年から昭和五四年までの四年間で平均四一四万九六五九円の年収(内訳は米穀販売の純利益が三一八万九六五九円、大寺鋼機株式会社からの給料が九六万円)があった。

亡節は、本件当時六五歳で、なお八年間は就労可能であったもので、その間の中間利息の控除につきホフマン係数(六・五八九)を用いて、生活費の控除を三〇パーセントとして算定すると、右就労可能期間中の逸失利益は一九一三万九四七二円となる。

(二) 慰藉料 一五〇〇万円

亡節は、本件以前は特段の病気もなく過ごしてきたものであるが、本件でセダペルサンチンを投与されたために、二か月余りの間、全身の皮疹、諸々の内臓障害、下血、全身衰弱、呼吸不全と悲惨な経過をたどり苦しみながら死んでいったものであり、その苦痛を慰謝する金員としては一五〇〇万円が相当である。

なお、本件では出費した一〇〇万円以上の治療費や墳墓葬祭費を別に請求していないこと等も慰藉料算定上考慮されるべきである。

(三) 安川医師からの和解金 七九〇万円

原告大寺美和子、同浅野興太郎は、安川医師を被告として提起した訴訟において同医師と和解し、和解金七九〇万円を受領したところ、右和解金は右原告二名が原告ら全員のために受領したものである。

(四) 内金請求 各八〇〇万円

原告ら三名は亡節の相続人として、同女の被告に対する損害賠償請求権を各三分の一宛相続したところ、亡節の前記逸失利益と慰藉料との合計額から和解金を控除した残額は二六二三万九四七二円となり、その内金として原告らは各八〇〇万円を被告に対し本訴で請求する。

(五) 弁護士費用 三〇〇万円(各自一〇〇万円)

6  よって、原告らは被告に対し、それぞれ九〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五四年一〇月二五日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実中、亡節が七月二七日から九月一日まで安川医院に通院し、高血圧症の診断の下にセダペルサンチンの処方を受けたこと、セダペルサンチンを被告が製造・販売していたこと及び富山逓信病院へ転院したことは認め、その余は不知。

(二)  同2(二)の事実中、亡節の皮疹が八月中旬から発現したことは認め、その発現の態様は争う。

亡節の皮疹は、同月一六日ころから発現し、当初日光露出部に現れ、その後全身に拡がり汎発化したものである。

(三)  同2(三)の事実中、亡節が九月二日に富山逓信病院外科に入院したことは認め、その余は不知。

診療録によれば、同病院において亡節の症状は好転軽快している。

(四)  同2(四)の事実中、亡節が九月一二日に富山市民病院に転院し入院したことは認め、その余は不知。

なお、診療録によれば、ゲンタシンが亡節に投与されたのは九月一六日からであって、原告ら主張の同月二三日からではない。

(五)  同2(五)の事実は不知。

3(一)  同3(一)の事実中、セダペルサンチンがジピリダモールとフエノバルビタールの配合剤であり、フエノバルビタールがバルビタールを本体とした共通の構造式を持った薬剤であること、フエノバルビタール等が投与された症例で薬疹発現の報告例があることは認め、その余は争う。

(二)(1)  同3(二)(1) は争う。

亡節が安川医院に通院中に発現した発疹が、薬疹であるかどうかは断定できないが、仮に薬疹であるとしても、当初日光露出部に発現しその後全身に汎発化した経過からして、セダペルサンチンではなく、日光過敏症の副作用を特徴とするフルイトランが右発疹の原因である可能性が高い。即ち、亡節はフルイトランの投与によって日光性皮膚炎を生じ、同薬剤の投与が継続されたことにより汎発化したものである。

原告らは、亡節が羞恥心から衣服で隠れた部分の発疹を医師に見せなかったかのごとく主張するが、医師は診療の場で患者の上半身の衣服を脱がせて観察するものであり、特に発疹を発見した場合にはその拡がりの範囲をチェックしないはずがないし、亡節の年齢からしても、右主張は合理性を有しない。

(2) 同3(二)(2) は争う。

亡節の発疹は、当初両上肢、首筋等の露光部に発現し、その後、汎発化して播種状発疹が全身に生じたものの、いわゆる重症薬疹とされるライエル型やスティーブンス・ジョンソン症候群型ではなかったことはもちろん、紅皮症型重症薬疹でもなかった。

そして、亡節の発疹は軽快傾向にあったのに、九月二七日ころ腹部に新しい丘疹が出現したのであり、その場所や発疹の型が従来のものと違うことや、ステロイドが早い時期から減量されており、かつその投与中(中止前)に新しい発疹が出現したことからして、右発疹をステロイドの減量や中止によるリバウンド(再燃)としては到底説明できず、当初の発疹とは別の原因による新しい発疹と考えるのが合理的である。

このような経過からして、亡節の当初の発疹は、その死亡とは関係がない。

(3) 同3(二)(3) は争う。

亡節の直接の死因は、剖検報告書(甲第二号証)に記載のとおり、「多発性結腸潰瘍及び穿孔性直腸潰瘍」であり、その原因と思われる下血が生じた一〇月五日により近いところで投与されたインダシン及びゲンタシンが右病変を惹起した原因であると考えるのが合理的である。

即ち、インダシン及びゲンタシンは、過敏症として発疹の原因となることはもちろん、肝臓、腎臓の機能障害や血液障害を起こす副作用があることが知られており、また、インダシンには消化器の潰瘍、穿孔、出血、腹部膨満感、口内炎等の副作用がある。本件で亡節に発現した肝機能障害等は右各薬剤が投与された後に生じている。また、亡節の発疹は軽快傾向にあったが、九月二七日以降腹部等に新しい丘疹が発現し、一〇月五日に下血があった後、同女のように肝機能障害を生じている者には禁忌であるゲンタシンが同月一九日以降も投与され、同月二五日に死亡するに至ったもので、このような経過からすると、亡節の直接死因である穿孔性直腸潰瘍等は、インダシン及びゲンタシンの複合的副作用が原因であると考えられる。

(4) 同3(二)(4) は争う。

フエノバルビタールは、その投与後一週間で完全に体内から消失するところ、亡節へのセダペルサンチンの投与は八月二八日で終了したから、少なくとも同医院通院終了後一週間で亡節の体内からフエノバルビタールは消失していたことになる。

(三)  同3(三)は争う。

4(一)(1) 同4(一)(1) の事実中、セダペルサンチンが、ジピリダモールとフエノバルビタールの配合剤で、被告が昭和三六年に製造販売を開始し、昭和五六年に製造販売が中止になった薬剤であることは認めその余は争う。

セダペルサンチンは、医師がよくジピリダモールとフエノバルビタールを配合処方していた実績に基づきその便宜のため、配合剤として製造・販売されていたものであり、ジピリダモールとフエノバルビタールはそれぞれ単剤として古くから使用され、現在も汎用されている。但し、新しく実施された再評価制度により、ジピリダモールとフエノバルビタールを予め配合しておく意義が追認できなかったに過ぎない。

なお、安川医師は亡節に対し、セダペルサンチンを高血圧症の治療に用いたようであるが、同剤は同症を適応症としておらず、安川医師がその裁量で使用したものである。

(2) 同4(一)(2) の事実中、原告ら主張の各能書の記載内容は認め、その余は争う。

セダペルサンチンの能書には、スティーブンス・ジョンソン症候群が発現することがある旨明記しており、これが重症型薬疹の一つであり、かつ生命の危険を伴うことは医師にとって常識であるから、右記載により医師に対する警告として十分である。

また、薬疹と疑うべき発疹を発見した場合に、早期に投与を中止し、症状に応じ皮膚科を受診させる等適切な処置を講ずるべきことも医師にとって常識である。

従って、セダペルサンチンの能書の記載が医師に対する指示・警告として適切を欠いたとはいえない。

(二)  同4(二)のうち、被告が昭和五六年一月末日セダペルサンチンの販売を中止したことは認め、その余は争う。

(三)  同4(三)は争う。

5  同5の各事実はいずれも不知ないし争う。

三  抗弁(時効)

原告らは、原告浅野興太郎と同大寺美和子とが相談のうえ、安川医院において使用された薬剤名及びそのメーカー等の探索を早くから行っており、遅くとも昭和五五年九月末日には亡節の死亡を薬害と指摘したうえで、セダペルサンチンが原因薬剤であること及び同剤が被告の販売にかかる事実を知っていたのである。

そして右時期から三年を既に経過したから、原告らが亡節から相続により承継した損害賠償請求権は時効により消滅したところ、被告は本訴で右時効を援用した。

四  抗弁に対する認否

被告主張の消滅時効の成立は争う。

原告らが亡節の死亡の原因となった薬剤をセダペルサンチンと特定認識したのは、昭和五九年夏であり、さらに被告に対する損害賠償請求の可能性を認識したのは、安川医師との和解が成立した昭和六〇年一〇月二八日である。

第三証拠関係<略>

理由

一  当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  亡節の死亡に至る経緯

請求原因2(一)の事実中、亡節が七月二七日から九月一日まで安川医院に通院し、高血圧症との診断の下にセダペルサンチンの処方を受けたこと、セダペルサンチンを被告が製造・販売していたこと及び亡節が富山逓信病院へ転院したこと、同2(二)の事実中、亡節の皮疹が八月中旬から発現したこと、同2(三)の事実中、亡節が富山逓信病院外科に入院したこと、同2(四)の事実中、亡節が九月一二日に富山市民病院に転院し入院したことはいずれも当事者間に争いがなく、これらの事実と、<証拠略>と弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1  安川医院における受診状況

亡節は、三月五日及び同月八日に安川医院で診療を受け、高血圧症の診断名で、いずれもユベラニコチネート及びハイシクランの投与を受け、五月一八日、同月二一日及び同月二五日にも同医院で受診し、咽頭炎の診断名でいずれも複合トローチの投与を受けた。

亡節は七月二七日に頭痛を訴えて安川医院で診療を受け、高血圧症(最高血圧一九〇、最低血圧一一〇)の診断名で、血圧降下作用等を有する薬剤であるクライスリンの注射を受け、かつフルイトラン、ユベラニコチネート及びセダペルサンチンを五日分投与された。さらに亡節は、安川医院においてフルイトラン、ユベラニコチネート及びセダペルサンチンを同月三一日に五日分、八月七日、同月一七日及び同月二一日に各一週間分投与された。

しかるところ、八月中旬ころ亡節に発疹が出現した(富山逓信病院に入院した際の問診等において、同女は、八月一六日ころから発疹がだんだんひどくなった旨及び当初皮膚にポツンと出始め、みるみる全身に拡がった旨述べている)。

そして、同月二四日に亡節が安川医院で受診した際、安川医師は亡節の両上肢前膊部に発疹(多少赤いぶつぶつ程度)が生じているのを観察し、日光かぶれではないかと判断して、四肢湿疹という診断名によりフルコート・クリーム外用薬を処方した。同月二八日になり、安川医師は亡節の発疹が悪化し、全身に紅斑様の発疹が生じているのを見て、先に処方したフルイトラン、ユベラニコチネート及びセダペルサンチンの服用を中止するよう指示するとともに、アレルギー疾患用剤であるノイファーゲン及び副腎皮質ホルモン剤であるメサドロンを注射し、ポラーミン(かゆみ止め)やビタミン剤を投与した。亡節は同月二九日以降九月一日まで毎日安川医院で受診し、ノイファーゲン及びメサドロンの注射を受けたほか、八月三一日にはセレスタミン(合成副腎皮質ホルモンとレスタミンとの配合剤)を投与するなどの治療を受けたが、発疹はその範囲が拡がるなどしてさらに増悪した。

2  富山逓信病院外科での入院状況

亡節は九月二日に富山逓信病院に転院し、同病院外科に入院した。右入院の時点で、亡節の状態は、全身に発疹があり、体温は三七度台から時に三九度を超える高熱を生じており、主訴として膝に力が入らない、食欲がない、気分がすぐれないことなどを訴えていた。

亡節の右の発熱に対し、同月二日から五日までインダシンが投与され、医師の指示により一旦投与が中止されたが、同月七日に再度投与された。

また、亡節は、同月五日以降ステロイド剤であるデカドロンを継続して投与を受けたが、その投与量は、当初一日当たり八ミリグラムであったところ、同月七日は六ミリグラムに、同月八日以降四ミリグラムに、同月一一日以降三ミリグラムにそれぞれ減量された。

その間の亡節の発疹は、入院当初、顔面の浮腫、発赤を始め、体幹、四肢等全身に見られ所々に健康色が残る程度であったが、同月五、六日ころから発疹が軽減して行く傾向を見せ、同月一一日ころには、顔面、頸部、両前腕部及び下腿部に発疹(発赤)が残るが浮腫は軽減し、体幹の発疹は右各部位よりさらに軽減している状態であった。

同月七日、富山市民病院皮膚科の松本鐐一医師が富山逓信病院に入院中の亡節を診察し、強い中毒疹であると診断し、口内の荒れが強いことなどを観察した。亡節は、富山逓信病院に入院当初から咽頭痛を訴えていたが、咽頭部に発赤は認められなかった。

なお、亡節が同月三日及び同月一一日に受けた血液検査の結果では、特に顕著な肝臓障害は認められなかった。

3  富山市民病院皮膚科に入院後の経過

九月一二日に亡節は、富山市民病院に転院し、同病院皮膚科に入院した。転院の理由は、同病院皮膚科の松本医師の診療を引き続き受けるのに、同病院への転院がより便宜であったためである。

亡節は、同病院に入院後も引き続きステロイド剤であるデカドロンを一日当たり三ミリグラム投与を受け、同月一四日は二ミリグラムに、同月一五日以降は一ミリグラムに減量して同月二八日まで同剤の投与を受けた。同月一四日から再び発熱が生じたので、同日より同月一九日までインダシンの投与がなされ、同月一六日から同月二九日まで及び一〇月一九日から同月二四日までゲンタシンの投与がなされた。なおステロイド外用薬であるリンデロンVG軟膏もその間使用されていた。

亡節の病状は、同病院への入院時において、全身に発疹はあるが色は暗紅色に変わっており、浮腫も軽減し、発熱はなくなっていたが、倦怠感があり、口内炎もあるという状態であった。

その後、亡節の発疹はさらに軽快好転していき、全身状態も良好となって行った。なお、九月一九日ころには黄疸が現れたが、同月二五日ころには黄疸が消え、肝機能検査の結果も回復した。また、同月一四日から排ガス、排便がなくなり、腹部膨満感が著明になり、次第に増強したが、その後同月一九日には排ガスがあり、腹部症状は回復した。なお、電解質異常は入院当初より継続していた。

しかるに、同月二七日になり亡節の腹部に新しい紅丘疹が現れ、これが一〇月始めまで増悪し、その後いくらか軽減した。しかし、一〇月五日に亡節は突然下血を生じ、そのため同月六日同病院内科に転科したが、次第に全身状態が悪化し、急性肺水腫、消化管出血、血管内凝固症候群(DIG)、急性腎不全などを起こし、同月二五日死亡するに至った。

4  解剖の結果

富山市民病院において、同病院の高柳尹立医師により実施された亡節の解剖の結果として、主病診断名は、多発性結腸潰瘍及び穿孔性直腸潰瘍(大量出血を伴う。)であり、副病変として、死亡浸潤を伴う急性肝炎、急性肝質腎炎、急性膵炎、両側胸水及び両下肢無気肺、潰瘍性食道炎等と診断された。

三  亡節の死亡とセダペルサンチンの投与との因果関係

1  セダペルサンチン及び同剤が含有するフエノバルビタールの副作用等

<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

セダペルサンチンは、ジピリダモールとフエノバルビタールの配合剤であり、フエノバルビタールは、バルビタール(正式化学名バルビツレート)を本体とした共通の構造式を持った薬剤である。フエノバルビタールを始めとするバルビタール剤は、抗てんかん剤、催眠剤、精神安定剤などとして汎用されている医薬品であるが、同時に、主な副作用として発疹等の過敏症があることも知られており、そのことを指摘した医学文献や、同剤が原因薬剤となったとする薬疹の症例報告が多数存在しており、バルビタール剤の右副作用は、定着した医学、薬学上の知見となっている。被告もセダペルサンチンの能書<書証番号略>において、同剤に含まれるフエノバルビタールの副作用として過敏症の発現に注意するよう警告している。

ところで、薬疹は、薬物の作用によって発現する皮疹をいい、一般に軽症型と重症型に分けられ、前者には湿疹型、麻疹型、紅斑型、多形滲出性紅斑型、固定疹型などがあり、後者の重症型には、紅皮症型、皮膚粘膜眼症候群型(MCOS、スティーブンス・ジョンソン型)及び中毒性表皮剥離症型(TEN型、ライエル型)がある。そして重症型は生命の危険を伴うとされている。右重症型のうち、紅皮症型は湿疹型、紅斑型の重症化したものであるし、皮膚粘膜眼症候群型(MCOS、スティーブンス・ジョンソン型)は多形滲出性紅斑型の重症化したものである。また、中毒性表皮剥離症型(TEN型、ライエル型)の症例は、高熱とともに急激に発症し、特異な熱傷様の水疱形成とびらんを呈し、組織学的に表皮の融解壊死を主徴とする。これらの重症型薬疹の治療にはステロイド剤の投与等による治療が有効とされている。

そして、フエノバルビタールないしバルビタール剤について、薬疹のうち軽症型のみならず、重症型のいずれについてもその原因薬剤となる旨医学文献で指摘され、またその症例報告が存在する。なお、被告はセダペルサンチンの前記能書においてその副作用としてスティーブンス・ジョンソン症候群の発現に注意すべきことを警告している。但し、バルビタール剤について、同剤を原因薬剤とする薬疹により死亡した症例の報告は見当たらない。

なお、フエノバルビタールは、摂取後約一週間で体外に排出されるとの医学的知見が、日本薬局方解説書<書証番号略>に記載されている。

2  亡節の死亡の原因

原告らは、亡節が安川医院で投与を受けたセダペルサンチンの服用により薬疹を生じ、その後これが重症化して重篤な内臓障害を生じ、死亡するに至ったものであると主張し、これに対し被告は、亡節が安川医院に通院中に発現した皮疹はセダペルサンチンが原因薬剤ではないし、また亡節の死亡の原因は、安川医院に通院中に発現した右皮疹の原因とは別の原因によるものであると主張するので、以下検討する。

(一)  亡節が安川医院に通院中に発現した皮疹の原因

まず、亡節が安川医院に通院中に発現した皮疹の原因について検討すると、前記二1で認定の安川医院における亡節に対するセダペルサンチンの投与状況と皮疹発現の時期、態様及びその後の経過並びに前記三1で認定のセダペルサンチンが含有するフエノバルビタールの副作用についての知見等に照すと、右皮疹について有力な他原因の存在が認められない場合には、セダペルサンチンが右皮疹の原因薬剤である一応の蓋然性が存するものと認められる。

そこで他原因の可能性につき検討すると、被告は、安川医院においてセダペルサンチンと同時に投与されたフルイトランにより亡節に日光皮膚炎が生じ、その後同剤の投与が継続されたことにより汎発化したものであると主張する。そして、<証拠略>に記載の相模成一郎(兵庫医科大学教授)の鑑定意見(以下「相模鑑定」という。)及び証人相模成一郎の証言は右主張に沿うものであり、また、<証拠略>によれば、フルイトランはその副作用として光線過敏症型の薬疹を特徴としていることが認められる。

因みに、右相模鑑定は、「フルイトランには、日光過敏症がよく知られており、且つ、それ以外のアレルギー性発疹をも副作用としてもっている。そして本件症例には、八月中旬に皮疹の出現した以後もフルイトランの投与が継続していたと考えられ、フルイトランによる日光過敏症が汎発性薬疹に移行した可能性が高い。セダペルサンチン及びユベラニコチネートも薬疹を発現する可能性はあるが、本症例の発疹の出現経過からみてフルイトランによるものである可能性が高いといわざる得ない。他方、松本医師の回答によれば、本症例の皮膚病変の原因としてセダペルサンチンに含まれているフエノバルビタールが推定されているがその根拠は薄弱である。」と述べて、本件皮膚病変とセダペルサンチンの因果関係を否定している。

事実、亡節は、前記二1の認定のとおり、安川医院においてフルイトラン(ユベラニコチネート、セダペルサンチンと共に)の投与を受け、その後に皮膚病変が生じ、また、八月二四日に安川医師が亡節を診察した際、同女の両上肢前膊部に発疹を観察し日光かぶれではないかと判断した。

しかし一方、亡節の発疹の発現態様をみると、前記二1の認定のとおり、亡節は富山逓信病院に入院の際にした問診では、八月一六日ころから発疹がだんだんひどくなり、当初皮膚にポツンと出始めた皮疹が、僅か四日間で全身に拡がった旨述べており、さらに証人安川栄一(安川医師)の証言によれば、右診療時において両上肢前膊部以外に顔や首等他の日光露出部には発疹は出現していなかったこと、また同医師は右以外の衣服で隠れた部位については亡節の訴えがなかったから発疹の有無を確認していなかった(発疹が発現していなかったか、仮に発現していてもその程度は軽度と思われる。)ことが認められる。

そうすると、たとえ安川医師が当初亡節の両上肢前膊部に限って発疹を観察したとしても、安川医師の診療の時点で、顔などの他の露出部に発疹が現れていないうえ、衣服で隠れた部位について発疹の有無を確認していないから、当初の皮疹が露出部に限局して生じた日光皮膚炎か、単に皮疹発現の初期において一部だけに生じたものであるか、右観察の結果だけからでは判然とせず、日光疹に特有の発現部位からみて日光皮膚炎であることを否定することはできないとしても、逆にこれを積極的に裏付けるものでもない。そして右事実を総合すると、亡節の右発現態様と経過からみて、被告の右主張にそぐわないものがある(又は裏付けとしては不十分である)ので、同剤が右皮疹発現に寄与した可能性は否定できないものの、同剤の投与によって亡節の右皮疹が発現した高度の可能性があるとの右鑑定及び証言には、右フエノバルビタールによる可能性との対比においてなお疑いが残る。

また、他に亡節の当初の皮疹の原因である客観的具体的な可能性を有する薬剤や食品等の存在も本件証拠上認められない。

そうすると、他原因として考えられるフルイトランによる日光皮膚炎の可能性が否定されない以上、セダペルサンチンに含まれたフエノバルビタールが亡節の右皮疹の原因薬剤であることの高度の蓋然性の肯認、即ちその認定まではできないけれども、同剤が原因薬剤である一応の蓋然性は認め得るといわざるを得ない。

(二)  亡節の死亡の原因

次に、原告らは、亡節は安川医院に通院中に発現した皮疹が重症化して重篤な内臓障害を起こし、死亡するに至ったものであるとし、結局セダペルサンチンが亡節の死亡の原因薬剤であると主張しており、<証拠略>に各記載の松本鐐一医師の所見(以下「松本所見」という。)及び<証拠略>に記載の利谷昭治(福岡大学医学部皮膚科教授)の鑑定意見(以下「利谷鑑定」という。)並びに証人松本鐐一、同利谷昭治の各証言はいずれも右主張に沿うものである。

しかしながら、他方、前記日本薬局方解説書には、フエノバルビタールは摂取後約一週間で体外に排出されるとの医学的知見が記載され、証人利谷昭治もフエノバルビタールは短期間で体内から消失する旨の証言をしているところ、前記二1で認定のとおり、亡節にセダペルサンチンが最後に投与されたのは八月二八日であるから、右知見に基づけば、同薬剤に含まれているフエノバルビタールは遅くともその一週間後の九月五日にはほぼ体外に排出されたといえる。なお、この点について、証人松本鐐一の証言及び<証拠略>によれば、薬疹は一旦発現すると、原因薬剤を中止しても血液中のものは排泄されるが組織内やリンパ腺内に残留することもあり、また皮疹や内臓障害は軽快せずに治療が効を奏しないと重症化する場合のあることを指摘していることが認められる。

そこでこれらの点をも考慮したうえ、亡節の症状の経過をみるに、前記二2で認定のとおり、亡節が安川医院に通院中に全身に発現した皮疹は、その後富山逓信病院に入院中にステロイド剤の投与等の治療を開始した後、軽減する傾向をみせ、前記二3のとおり富山市民病院に転院し同病院皮膚科に入院した後も引き続きステロイド剤を減量しつつ継続して投与する等の治療の結果、同月二六日までの間に皮疹はさらに相当程度軽減するに至っていたのである。また、亡節の全身状態も右時期までは好転してきており、その間に、九月一九日ころには黄疸が現れたが、同月二五日ころには黄疸が消え、肝機能検査の結果も回復し、同月一四日から生じた腹部症状も同月一九日ころには回復していたのである。ところが、セダペルサンチンの服用中止後約一か月経過した同月二七日になり亡節の腹部に新たな皮疹が生じ、それが増悪したのち一〇月五日に下血が始まり、以後重篤な内臓障害等を起こして死亡するに至ったのである。このような亡節の症状経過に照らすと、九月二七日に生じた新たな腹部の皮疹は当初の皮疹とは別の原因によるものであり、さらにその後に生じた右重篤な内臓障害等も当初の症状とは別の原因によるものではないかとの疑念を当然抱かざるを得ない。

この点につき、松本所見及び証人松本鐐一の証言によれば、九月二七日に生じた新たな腹部の皮疹は亡節に対するステロイド剤の減量、中止による再燃ないし反跳現象(リバウンド)と考えられるというのであるが、まず、前記二3で認定のとおり、ステロイド剤は新たな腹部の皮疹が生じた後の九月二八日まで投与されたのち中止されているから、時期的にみて同剤の中止が再燃の原因であるとは考えられない。次にステロイド剤の減量との関係では、同剤の投与の経過は前記二2、3で認定のとおりであって、漸次減量しつつ継続して投与され、最終的に投与量が一日当たり一ミリグラムに減量されたのは九月一五日からであり、それ以降新たな腹部の皮疹が生ずるまで一〇日以上経過し、その間も亡節の症状の軽減傾向は続いていたのである。このような経過に照して、ステロイド剤の減量と新たな皮疹との間の相関々係に疑問を持たざるを得ない。この点について、証人松本鐐一は、ステロイド剤の減量後右程度の期間の経過後になって再燃が生ずることが有り得るかにつき、明確な証言をしていないし、松本所見でもこの点につき触れていない。のみならず、同証人の証言によれば、従前亡節に対するステロイド剤の投与終了時期を九月二六日と誤認していたため、新たな皮疹の発現とステロイド剤の中止が時期的に符合するとの認識を抱き、この認識がステロイド剤の減量、中止を皮疹再燃の原因と判断した根拠になっていたことが窺われる。他方、証人利谷昭治は、九月二七日に腹部に生じた新たな皮疹の原因等につき前記疑問に対応した明確な説明をしていない。同証人の証言では、症状が軽減傾向にあった亡節に新たな皮疹が発現したことが同女の死亡の原因を判断するうえでさして意味を持たないかのごとくであるが、その理由は必ずしも明らかにされていない。いずれにしても、両証人とも右症状経過についての客観的、合理的な説明を欠いているといわねばならない。

しかるところ、右の新たな皮疹が当初の皮疹と連続した同一の症状であるとの見解は、前記のような症状経過にもかかわらず同一性を肯定し得ることにつき、客観的、合理的な説明をなし得ない以上、右皮疹が新たな原因に起因しているとの疑いを払拭できないものといわざるを得ない。従って、松本所見及び利谷鑑定並びに証人松本鐐一、同利谷昭治の各証言はいずれも採用し難い。

そして、右の新たな皮疹につき他原因が疑われる場合には、亡節が右皮疹に引き続き下血を端緒として重篤な内臓障害を生じ遂に死亡するに至ったのも、右の新たな皮疹を生ぜしめたのと同一の他原因による蓋然性が高いと認めるのが合理的である。

そこで、本件で右の新たな原因の存在する可能性を判断すると、被告は亡節に投与されたインダシン及びゲンタシンを亡節死亡の原因薬剤として指摘しているので、右薬剤について検討すると、<証拠略>及び証人相模成一郎の証言によれば、インダシンはその副作用として、消化性、潰瘍、S状結腸病変部位における穿孔、胃腸出血、腹部膨満感などの消化器の症状や口内炎、発疹等の過敏症があることが指摘され、直腸出血の症例報告も存在すること、また、ゲンタシンの副作用として、肝臓、腎臓の障害が現れることがあること及び発疹等の過敏症もあることが指摘されていることが認められる。これらの事実と、右各薬剤の投与状況は前記二2、3のとおりであって、亡節の九月二七日の腹部における新たな皮疹の発現に近接して投与されていること、そして<証拠略>によれば、右皮疹が発現した際診療に当たった医師がゲンタシンとの関係を疑いその旨診療録に記載していることが認められること、また、前記認定のとおり、亡節に処方したセダペルサンチンの服用を中止した八月二八日以後、ステロイド剤の投与等による治療の結果、亡節の皮疹、内臓障害等は徐々にではあるが軽快に向っていたことなどを併せ考えると、インダシン及びゲンタシンが亡節の新たな皮疹及びその後の重篤な内臓障害ひいては死亡の原因薬剤である可能性を否定できない。

ところで、証人松本鐐一は、亡節の皮疹が重症型薬疹に該当するとし、その理由として右皮疹が重篤な内臓障害を伴ったからであるとの見解を述べ、一方、証人相模成一郎は、薬疹が重症型であるか否かはその皮疹そのものの重症度により判断すべきであるとの見解を述べている。右見解の相違は、重症型という用語の定義付けの違いによるものと解せられ、その当不当は一概には決し難いけれども、前者の見解に従って重症型か否かを分類する場合に、皮疹とそれに前後して生じた重篤な内臓障害とが同一原因によるものであることが先決問題として肯定されなければならない。そうでなければ、単に皮疹に前後して重篤な内臓障害が現れたことから、当該皮疹を重症型の薬疹とし、重症型の薬疹であるからそれに前後して現れた重篤な内臓障害が当該皮疹と同一原因によるものであるとの、循環論法に陥る危険がある。

しかるところ、前記二1ないし3の認定事実に照らし、本件で九月二七日以前において、亡節に生じた内臓障害はさほど重篤なものであったとは認め難い。すなわち、黄疸を含む肝臓障害が一時発現したが短期間で回復したし、腹部症状も比較的速やかに回復している。のみならず、仮に当初の皮疹の原因がセダペルサンチンであるとしても、右内臓障害も右薬剤を原因とするものであるか否かは必ずしも明らかではなく、そのころ投与された他の薬剤等の他原因の可能性を考慮しなければならない。また、前記認定の電解質異常については、証人松本鐐一の証言によれば、むしろステロイド剤の投与が原因である疑いが強く、それゆえ同剤の投与量を症状の軽減に応じて減量し、九月二八日以降は再投与を避けたものであることが認められる(<証拠略>の富山市民病院皮膚科の診療録には、一〇月一日の欄に電解質異常が怖いのでステロイドの投与を差し控える旨の記載がある。)。さらに、原告らは、亡節の口内の荒れが早い時期から持続してしたことを主張しているが、右の症状が持続していたことが仮に認められるとしても、そのような一部の症状だけでは、亡節の当初の皮疹から死亡に至るまでの皮疹や内臓障害等の一連の症状の連続性、同一性を肯定することは困難である。

(三)  このようにみてくると、亡節の当初の皮疹が安川医師によって投与されたセダペルサンチンにより発現した疑いがあるとしても、その後の九月二七日以降に発現した亡節の皮疹、さらに亡節が一〇月五日の下血を端緒として重篤な内臓障害を生じ死亡するに至ったことについて、これが当初の皮疹が重症化した結果であると認めるべき十分な客観的根拠はないといわねばならない。

よって、亡節の死亡がセダペルサンチンを原因とするとは、本件証拠上認めることはできない。

四  結論

以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林一好 裁判官 田中澄夫 裁判官 光本正俊は転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 小林一好)

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